お気に入りのカフェがお気に入りである理由

ぼくが数年間住んでいたニュージーランドのオークランドには、いくつかお気に入りのカフェというのがありました。車で30分、ときには1時間かけても足を運びたくなるカフェ。それらのカフェのどんなところが気に入っていたのか。今になって考えてみても、決定的な答えには辿り着けずにいます。何度も足を運んだ理由は何なのか、考えてみる価値はありそうです。

雰囲気、サービス、味、ロケーション。切り口はいろいろとあると思います。そこでまずは外観や内装について考えてみました。

ぼくがオークランドで好きだったカフェの外観・内装に共通して言えることは、隙だらけだということ。国民性なのかセンスなのか、良い感じに抜けていて、息苦しさがないような気がします。力の抜け具合が絶妙、なんていう言葉を使う時点で、「目一杯力んで」力の抜けた雰囲気を作る日本人的な堅さを我ながら感じてしまいますが、とにかく良くも悪くも大雑把です。最近は洗練されたモダンな感じのカフェもたくさんありますが、ぼくが好きだったのはそんな心地の良い雑さを持ったカフェでした。

じゃあホタルカフェの外観や内装を力の抜けた感じにすればいいか、というとそれがそれほど簡単ではなくて、と言うか簡単とか難しいとかいう問題ではなくて、やはり気合いの入った少しわざとらしい力の抜き具合になってしまいそうなのです。日本にも力の抜けた感じのカフェがたくさんあると思います。でもやっぱり根が真面目なのか、隅々までキチッと力が抜けた感じを作っているというか、それが良いとか悪いとかではなくて、ぼくがオークランドのカフェで感じていたものとは何か根本的なところで違っていると思うのです。

日本では店舗のデザインが全体的にとても洗練されて「カフェのレイアウトはこうあるべき」という教科書のような本やスクールがたくさんある分、よーく見ると表面のスタイルこそ違えど、どこも同じような気がしたり。じゃあ他とは違う個性的な店にしよう!となるとキチッと個性的になってしまうような。

こんな具合に外観と内装ひとつとっても、なかなかこれといった答えが見つからずにいます。答えが何かなんて考えている時点で、すでに答えのない道に自ら迷い込みに行っているような感じもしないでもないのですが、、、。

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