何かを得るということ
何かを「得た」と思うと、得たものを失うことを恐れるようになる。お金も、仕事も、モノも、人間関係も、愛情も。そして失うことを恐れると、大切なことを見失ったり、判断を誤ったり、結果的に本当に大事なものを失ってしまうのかもしれません。失うことへの恐れを手放すにはどうしたらいいのかな、って最近少し考えていました。
ホタルカフェに来てくださっているお客様を失うんじゃないか、という恐れ。いつも来てくださるお客様にしばらくお会いしないと「何かが気に入らなかったのかな」とか心配になってしまったり。もう来てくれないかもしれないとか、また来てもらえるようにするにはどうしたらいいかとか、そんなことを考えたりもします。ホタルカフェが少しでも気持ちの良い場所になるように、良い空気が循環するように、できることはやっているつもりでも、ついつい不安になる。
でもよく考えてみれば、そもそもぼくたちはお客様を「得た」わけではないんじゃないか。これまでホタルカフェに来てくださったお客様ひとりひとりにそれぞれの生活があって、これまでの経験とか価値観とか人とのつながりがあって、そんな中で奇跡的にホタルカフェでお会いできるチャンスをいただいただけじゃないかって。「得た」のではないのなら、失うこともないし、失うことを恐れることもない。
もちろん、来ても来なくてもどっちでもいい、なんて思っているわけではありません。ホタルカフェでお会いできたそのときに、できるだけ穏やかであたたかい時間と場所を提供できるように、ぼくたちにできることをやって、そして何よりその日出会えたことに感謝すること。それだけ考えていけたらきっと恐れる必要がないのかもしれないって、少しだけそう思えるようになりました。
しばらくお会いしていないお客様がいるからといって不安になるのではなくて「あの人は元気かなあ、どうしてるかなあ」って思いを寄せていればいい。みんなそれぞれの時間の流れの中で、常に変化し続ける瞬間を過ごしているのだから、そのうちまた巡り巡ってホタルカフェでお会いできるときがあるといいな、って思うと何だか幸せになります。もしも二度と会うチャンスがなかったとしても、この一度きりの人生の中で、たった一度だけでも会えたことに感謝したいと思う。
そんなことを何となく考えたりしていると、不思議なものでしばらくお会いしていなかったお客様にまた会えたりするんです。そうするとぼくたちも本当にうれしくなって、そのうれしさはきっとお客様にも伝わるのだと思います。
もしも、今後ぼくが何かを「得た」と思うことがあったら、それを得たんだ、というこだわりとか自尊心とか満足感とか、そういうもの一切を手放せたらいいと思う。きっと本当の意味で何かを得たのなら、失わないようにってビクビクしなくても、「自分はこんなものを得たんだ!」って力まなくても、自然とぼくの中に蓄積されていくものだと思うから。
ホタルカフェが何かを得ているとしたら、それはお客様の笑顔とか穏やかな気持ちとか、そういうものの余韻のようなものかもしれません。ぼくたちがこれまでと変わらずに、大切なことを見失わずにいられれば、その余韻はきっとホタルカフェの空気を満たしてくれる。また明日もそう信じて過ごしてみよう。恐れずに。
そうですね。
蓄積されていきますよね☆彡
出会いに感謝ですね。
HOWBIさん、コメントありがとうございます。
本当の意味で何かを得ることがあるとしたら、
価値観とか考え方とか心の持ちようとか、
そういったものなのかなあ、とも思います。
しかもそうやって得た価値観や考え方でさえも、
ずっと変わらず持ち続けていなければならないわけではなくて、
蓄積されながらも少しずつ変化していくもの、
というくらいに思っていればいいのかもしれません。
なんて、今こうして考えていることも、
これから少しずつ変わっていって、気がついたら
また別のものになっているのかな、、、。