光をつなぐ
今年もホタルの季節になりました。ここいすみ市の「源氏ぼたるの里」でも、最初の数匹が飛び始めたようです。ゲンジボタルの光のコミュニケーションは、求愛のためだとも言われているようですね。相手を見つけることに成功したゲンジボタルは交尾をし、卵を産み、成虫としてのその短い一生を終えていきます。
今年見ることのできるゲンジボタルの光はその親たちの光が生み出したもの。その親たちの光もそのまた親たちの光が生み出したものです。だからぼくが今年ゲンジボタルの光を見ることができるのは、ごく当たり前のことだけれど、ずっとずっと昔からつながってきた光があるから。
ゲンジボタル自身が何を想って光るのかはわからないけど、命はつながっていくもの、受け継がれていくものだということを改めて感じます。遙か昔に光を発していたゲンジボタルの命も、今この瞬間につながっている。同じように、昔の人たちが発した言葉が、何気ない行動が、今の世の中にも確実に息づいているのだと思います。
だとしたら、ぼくたちの今の言動はこの先の世代のどこかに受け継がれ、誰かがそのまた次の世代に受け継いでいくはず。意識されるかされないか、影響が大きいか少ないかの違いはあっても、絶対にどこかで生きていくんじゃないかと思います。
この身体はいつか消えてしまうけど、ぼくたちの意志は形を変えながらもどこかで生きていく。誰かの意志や行動や言葉が、思わぬところで人と人を巡り合わせ、人生を思いもよらぬ方向へ導くこともあります。
ゲンジボタルの光が受け継がれていくように、ホタルカフェが小さな光を発することができたなら、その光は思いもよらぬどこかで新しい光を生み出すかもしれない。ホタルカフェが朽ち果てて、その存在を覚えている人が誰もいなくなっても、細々とでも確実に未来のどこかにつながっていく光。どうせ光るなら、小さくても儚くても美しい光がいいですね。