お米をつくるということ

今日、ホタルカフェの裏の田んぼで稲刈りがおこなわれたようです。ぼくたちが日頃から口にしているお米。どのようにして作られているのか、知っているようでいて、恥ずかしながら実はよく知りません。すぐ裏が田んぼという土地に、家とカフェを建てることになって、これから少しはお米についての理解を深めることができるのではないかと思います。

稲穂

稲穂が実り始めた7月下旬。緑が金色に変わる途中です。

今朝、Nagaiki-工房さんからの電話で、裏の田んぼで稲刈りが始まったことを知りました。田んぼの持ち主であるこの地区の区長さんが、新米の予約を受け付けてくれるということで、さっそく購入の予約をお願いしました。

ぼくたちがこの土地を初めて訪れた昨年末、カラカラの土だけだった裏の田んぼ。そこから新たな命が育まれ、その貴重な命をぼくたちはいただくことになります。普段お店からお米を買うとき、正直そこまでありがたく思うことはほとんどありません。

無数の生物が棲む土と、カエルやドジョウが泳ぎ回る水の力で、たくさんの命と共存しながら稲が育ち、そうしてできあがった新しい命をぼくたちが生きていくための食べ物としていただく。それを実感することのできる素晴らしい場所にぼくたちは出会ったのだと思います。周りにたくさん田んぼがあるところで生活している人たちにとっては、もしかしたらごく当たり前のことなのかもしれないけど。

冬にはひからびていた土には、春になると水がはられ、苗が植えられ、6月には鮮やかな緑が辺りを埋め尽くし、やがて黄金に輝く稲穂が実る。そんな季節の移ろいを感じることのできる風景と命の循環が、これまで何千年と繰り返されてきたのだと思うと、自分の存在の小ささと、全ての命の大切さ、神聖さを感じてしまいます。

大きな循環の中の限りある命だからこそ、どんな状況でも今を精一杯生きていきたいし、この世にほんの一瞬でも存在していること自体が本当に神聖なことなのかもしれません。

お米の話が何故かとても大げさな話に飛んでしまいましたが、自然とふれあい、ほんの小さなディテールや時には歴史にも目を向けることは、たくさんの人と出会ってその人たちの考えや願い、秘めた思いにふれることと同じくらい、人生を豊かにするのかな、なんて思ってこんなに脱線したわけです、、、。

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