バリ島が教えてくれたこと
日本での一時滞在を始める前にどうしても行きたいところがありました。それはインドネシアのバリ島。泳げないぼくは、いわゆるビーチリゾートには興味がなく、目的の90%はバリの食べ物。バリのごはんは本当に美味しかった。ナシ・チャンプルーなんて何度食べたことか。でも素晴らしいのは食べ物だけではありませんでした。
バリ島の内陸部に、日本人観光客にも人気の「ウブド(Ubud)」という村があります。中心部には芸術品やバリの雑貨、主に女性向けの服やバッグなどを売る店が軒を連ね、周辺には美しい棚田が広がる、小さくて魅力的な村。そのウブドでぼくたちが滞在したのは周囲を田んぼに囲まれたTegal Sariというホテルです。
ウブド滞在3日目の朝、ぼくたちはTegal Sari主催のウォーキングツアーに参加しました。ツアーの内容は、中心部から車で30分ほどのところにある、小さな集落のようなところで現地の人とふれあい、棚田の合間を歩くというもの。
そのツアーの出発地点まで行く車の中でのこと。ぼくたちがバリ島に来てからずっと気になっていたことを、ホテルのスタッフでもあるツアーガイドのお兄さんに聞いてみました。それはバリ島のいたるところで目にする「白黒のチェック柄の布」のこと。仏像のようなものや大きな木、さらには田んぼに立っている「かかし」にまでその布が巻いてあったのです。
白と黒が意味するもの。ツアーガイドのお兄さんの話によると、それは善と悪、表と裏、光と陰、生と死、すべては同時に存在し、互いにバランスをとっているということ。悪いことと思える出来事も、その裏には大切な何かが必ず存在していて、重要なメッセージを教えてくれているということ。
その話を聞いたときは、「なるほどねー、確かにそうかもしれないな。」と思っただけで、よく考えれば当たり前のことなのかな、とも思いました。だけどバリ島を離れてから、その話をもう一度思い出し、咀嚼し、自分なりの解釈にたどり着いたとき、ぼくの中にあったいろいろな悩みや疑問や、その他何となくネガティブな思考のほとんど全てがクリアになった気がしました。
悪いことの裏には善いことがある。つまり「全ての事象を多面的にとらえる必要がある」ということ。こうやって言葉にしてしまうとごく当たり前のことです。でも人はついつい自分の側から見えている部分だけで、物事や人について判断してしまうことがあります。
一見悪いことと思える出来事や、自分に対してネガティブな感情をぶつけてくる人にも、自分が見えていない素晴らしい一面が必ずある、ということに気づかなかったり、気づいていても見ようとはしなかったり。
「あの人の悪いところは、、、」とか「あの人はここを直してくれれば良い人なのに」なんて思ってしまうことが、よくあります。でもきっとそれは、「ぼくにとって都合の悪い」ところであり、「ぼくにとって都合の良い」人なんじゃないかな。「好き・嫌い(もしくは合う・合わない)」と「良い・悪い」は全く別です。人間誰しも、どうしても合わないとか、どうしても好きになれない、という感情を持つのは仕方のないこと。
ただ大切なのはどんな事象や人にも、自分には見えていない側面があって、それが何なのかを想像することなのかもしれません。そして自分に見えていること、目の前で起こっていることにも、それがたとえものすごくネガティブなことでも、必ず理由があるし、その理由を想像することはできるのかもしれない。
ネガティブな出来事に対して、即時にリアクションをする前に、ひと呼吸置いて、少しだけ自分に見えていないものを想像してみるだけで、きっといつもより穏やかな気持ちでいられるような気がします。そんなことを意識して、これからの毎日を過ごせるように心がけたいんだけど、それがまあ結構難しいんだよなあ、、、。
本当ですね。表と裏、光と影、生と死、全て対象でバランスをとって存在しているのですね。自分にとってそれが悪い状況であったとしてもそれを悪いと決めるのは自分であって本当は深い意味があるのでしょうね。”神との対話”をとても時間をかけて読んでいますが同じようなことが書かれていました。
今、私は足踏しているような状態ですが、又、どうしたらいいのか考えている状態ですが、少し見方を変えてみようと思います。
バリ島はとても霊的な島だと言っていましたよね。呼ばれていたのですね、きっと。
物事を完全に客観的に、いろいろな視点から見ることはとても難しいことだと思います。でも、どんなに大変な状況にあっても、自分なりの前向きな考えを持つことができたらいいですね。きっとほとんどの問題は、自分の内面だけで解決できるというか、問題が問題でなくなるのではないか、そんな風に思うことがあります。
バリ島の話を初めて聞いた時、hotarucafeさんの包み込む様な優しい性格にはそのようなバックボーンがあったんだなと感動し感銘を受けました。
物事を多面的にとらえる事、ネガティブな事をいかに消化しポジティブシンキングへと昇華するかという事、「人生に無駄な事は何も無い」と言いますが結局は自分の気の持ちようなんだと思えます。
綺麗事と言われる事でも行動が伴えばそれは本当の意味での綺麗事です。今の私にはそれが出来ていません。悩み、苦しんでいますが、ゆっくり時間をかけて進んでいきたいと思っています。
このブログでぼくが書いていることのいくつかは、多くの人にとって「きれいごと」に過ぎなくて、現実はそんなに甘くない、って言いたくなるようなことかもしれません。でも、どんなにきれいごとでも、どんなに現実的でなくても、それがぼく自身にとっての真実ならば、それを繰り返し口に出すことで、何度も何度もアウトプットしていくことで、いつか自ずと日々のふるまいとして定着していくものなのかな、とも思っています。